プロフィール

プロフィールをご覧いただき、ありがとうございます。

私は人生で挫折をいくつか味わい、乗り越えてきました。その時に人のつながりの大切さ、家族のありがたさをすごく感じました。

でも、はたして本当に自分の感謝の気持ちが伝えられているのか?感謝していると自分が思っているだけで、伝わっていないのでは?と疑問に思いました。それなら、何とかして自分の感謝の気持ちを伝え、ただ伝えるだけでなく想い出に残るような伝え方をしたいと考えるようになりました。

では、なぜこのような思いを持つようになったのか。
私のプロフィールと合わせてご覧ください。

誕生

1971年1月 京都市 森家第1子として生まれます。家族構成は、両親、祖母、妹の5人家族。実家は、9代続く老舗豆腐屋。豆腐屋というと朝早くからというイメージ通り、家族は早朝から働いており、定休日はお正月くらいでほぼ毎日朝には豆腐を作っていました。家業があったため、家族で旅行や外食などあまりしたことが無く、両親は忙しさもあり 子育てに対して大らかに、子どもの自主性を優先してくれました。

 

内気な幼少期

両親が忙しい事もあり、同居していた祖母に手をかけられて育ちました。その反動で、自主的な行動や、自分の意見を通すという努力をしないまま成長したので、相手に合わすことは得意だけれど自己主張がとても苦手でした。また、マイペースな性格で競争心もなく、勉強も大嫌いだったので、クラスの落ちこぼれでした。これはマズイと思い、人並みにならなければ・・、と焦るのですが、自信が無いため、自分の意見や気持ちを伝えることができませんでした。これは、私の人生の最初で最大のコンプレックスとなり、大人になった今も持ち続けることになります。

そんな中、私を熱中させたものがあります。それはマンガです。

 

ずっと好きだった少女マンガ

数あるマンガの中で私の人生を変えたマンガがあります。それは、「ガラスの仮面」です。連載開始1976年から現在で累計5000万部を超えるベストセラー。また、連載40数年経つが終わりが見えない、終わらないマンガとしても有名。主人公の北島マヤは自分で「チビで不器用で何のとりえのない子」と自己評価が低いのですが、自分が夢中に情熱をかけられる演劇に天才的な才能を持っています。自身はそのことに気が付いていないのですが、伝説の女優月影千草に才能を見いだされ幻の作品「紅天女」を演じるために修業を始めます。

その努力というものは凄まじい内容でマンガならではの表現ではありますが、そのマヤの好きな事への努力、情熱に感化され、私も努力をすれば自分の憧れるイキイキとした自分になれるのでは。と思い始めました。
そして何かつらいことがあっても、北島マヤのセリフ「たとえ失敗しても
たたかう前にあきらめたくはありません! ひとかけらの希望にかけてみたいんです」が頭によみがえり、前向きに努力できるようになり、人生のバイブルとなりました。

ずっとマンガは私の隣にあり、つらい時や気持ちがふさぐ時に読み返し勇気をもらってきました。

 

人生最大の挫折

何事もなく当たり前に生活が送れると思っていたのですが、人生の大転換期がありました。

それは、結婚20年目で破綻した離婚です。

どちらともなく意見や気持ちがすれ違い、相手に自分の気持ちをぶつけないまま、問題に向き合えず、終わりを迎えました。精一杯努力をしたつもりでしたが、どうしても溝が埋まらず悩んだ末の結論なので後悔はしていませんが、子どもたちに悪いことをしたという気持ちと、両親にとても心配をかけたという気持ちが残りました。

そんなつらい時も、やはり心の支えはマンガでした。苦しい時や、悲しい時もマンガを読み、勇気をもらいました。そして、いつか自分をかけられるものを見つけていきたいと思うようになりました。

 

幸せな時間を作る楽しさ

そんなつらかった時期もありますが、楽しかったこともありました。
自分の違う一面が発見できたのです。きっかけは、友人の誕生日でした。
友人の誕生日に、内緒でゆるキャラの着ぐるみでサプライズ登場しました。精巧な着ぐるみだったため、「え~!!!」とびっくりされ、そしてその楽しそうに笑う顔にその場にいた人たちもつられてとても幸せな気分に。そして、もちろん 誕生日パーティーも大成功でした。プレゼントは物を渡すだけでなく、おめでとうの気持ちとその場にいる人たちとのかけがえのない時間を作るものだと感じた瞬間でした。

間違いなく、誕生日の主人公は忘れられない誕生日パーティになったでしょうし、私たちサプライズした人たちも 準備期間も含めとても楽しい時間を共有することができました。こうして楽しい時間を作り出す楽しみを知ったのです。

自分の夢とは

私は自分が企画した内容でみんなに喜んでもらえることがとても楽しくなっていました。
いずれ、会社を辞めて自分の大好きな仕事で生活できるようになれば・・。と新たな夢を持ち始めました。

それには、どんな仕事がいいのか。ガラスの仮面 マヤのように、自分のすべてがかけられるような仕事を作り出したいと考え始めました。

その中で、私の好きなものはマンガではないかと思い始めました。

そうだ!私はマンガが大好きだし、それをツールにして人に喜んでもらえるような仕事をしようと思いました。

そんなマンガの魅力とはこういうことではないでしょうか?

<マンガの持つ最大の魅力とは>
①誰でも手軽にさっと読める
②表現力が豊かで一目で情景が伝わる

③伝えにくい表現も柔らかく伝えることできる

これほどまでに素晴らしいツールなのに 今では海外で芸術として紹介されていますが全体的にはまだまだ娯楽作品、子どもが読むもの。というイメージがあります。

私は、この素晴らしいツールを使い新しい事ができないか、もっとマンガに興味ない人にも楽しんでもらいたいと思うようになりました。
私自身も気持ちがふさぐ時はマンガによって勇気をもらい、つらい時は慰めてもらってきました。同じような境遇の主人公が頑張る姿に私も負けられないとさらに頑張れるようになりました。

また、子どもの頃は読んでいたのに、大人になってから読まなくなったということも聞きます。大人だからこそ読むことに意義があるのです。幼い頃に読んだマンガをもう一度読むと、新たな感動が生まれるでしょう。そんなきっかけもこれから作っていきたいと考え始めました。

ジレンマと発想の転換

ただ大問題がありました。私はマンガが書けません。「マンガを作りたいんだ」と友人に言うと「マンガ書けるの?」と聞かれ、「書けないよ」と答えると自分自身がやりたいことを否定しているように感じ落ち込む毎日でした。

でも、ある日「そうだ!私は、サプライズプレゼントを考えるのが大好きだったんだ!感謝の気持ちをマンガにして贈るというアイディアはどうだろうか?マンガは、マンガ家さんに依頼することで マンガの幅がひろがるんじゃない?」と思うようになり、企画を考える中友人に話をしたところ「面白うそうだね。作ってよ!」とひょんなことから依頼を受けることになりました。

小さな挑戦

それは、娘さんから贈る「お父様70歳(古希)祝い」でした。
内容は、日々の日常を娘さん目線から見たマンガで感謝の気持ちを表す内容というものでした。初めての試みだったため、結局半年間かかったばかりか、誕生日もだいぶん過ぎてからのお渡しとなりました。ですが、とてもマンガを喜んでいただけて 「あんなに両親夫婦が楽しそうに会話をしているのを見たことがない」とまで言っていただけました。

そう、なんです。

私が作りたかったのは、「マンガではなく、その人のかけがえのない時間を作ること」だったのです。
私は、大好きなマンガ ガラスの仮面の北島マヤと同じように自分自身を「不器用でつまらない子」と思っていました。ですが、視点を一つ変えるだけで 私にしかできないことが必ずあると思えました。

それは、私は小さい頃から人に合わせることが得意だったということです。反対に言えば、困っている事や伝えたいことがどういうことか理解できるということです。ですので、あなたの感謝の気持ちを読み取り、どういう内容で伝えていくのかを一緒に考え、アイディアを出していくことが来ます。

あなたの心の中にある会話、旅行、口癖、いっしょに遊んだ日の思い出、振り返ればいくつもあるでしょう。

そんな小さなたわいもない日常をお聞かせください。
一緒に考えましょう。

世界でたった一つの素敵なあなただけのマンガが出来上がります。
今、伝えないでいつ伝えるのでしょうか?
どうか、大切な人の大切な記念日が、かけがえのない想い出の日になるように。

さりげない日常を記念日に。ギフトマンガをどうぞ。
長いプロフィールをお読みいただき、ありがとうございました。